2012年の8月に入社して1年8ヶ月。
一般的に考えたら早い退社になるんだろうけど、いろいろ詰まった日々でした。
入社してすぐに立ち上がったばかりの「モバゲーチャット」なるチームに入り、スマートフォンでのブラウザチャットでできることの限界まで作り上げられた、いいチームであってすごくいいプロダクトでした。
このチームほんとデコボコでさ。お前が言うなって言われると思うけど。
まぁ全員が同じ方向向いてて、これがやりたい。じゃあどうする。
とりあえず作ったから実装してよ、だとか
こういう機能実装したいからはよUI出せよ、だとか
アス比ちげぇよって言ったらそんなんユーザはわからんからいんじゃね?とかw
なんかみんな超つっぱしってていいチームだったなー。
退社直前に入ったチームもそんな感じであります。
んで、まぁスケールさせるところまでやって、それからはチーム解散してバラけて、Social Gameにいく人とか、新規事業部とか、そのままプラットフォームの人とか。
僕はそのタイミングで新規事業部に異動して、マンガボックスがっつり作って、教育サービスの立ち上げから入って。
結局辞令で両方ともリリースされるときには異動してていなかったんだけど。
まぁその辺大会社だよな。次のエントリあたりで触れようかな。
せっかくなので社会に出てから転職6回とか?なので振り返ってみようかと思います。
この夜はまだ明けなそうなので。
なんなんで、バイトも含めていきますよ。
1社目 凸版印刷の子会社の100人程度の印刷会社
ここ、最初DTPオペレータで入ったんだけど、二週間くらいしたら『スーツ着て来て』って言われて、なんかいつの間にか外回りやらされてたw
おかげでページつけ合わせて青焼き折れるようになったし飯田橋付近の道は網羅した。
まぁでも一番の収穫は印刷工程をざらっとみれたことかなー。その後のデザインスキルにも繋がった、と、今なら言える。今なら。
2社目 サイバード
丁度docomoのi-mode全盛期で。でもまだ1画面6kとかで作らなきゃいけなくてw
バナーとか文字とかドットで描いてた。まだ描けるよ。ドット文字。和文もw
んでTシャツECサイトの立ち上げから関わらせてもらって、最後docomo公式になった。
当時公式ってメッチャハードル高くてさ。でも逆に公式入ったらもう安泰、みたいな空気だった(違ってたらごめん)
入社時に初めてmobileとはいえwebの世界に入って、当時gifとjpgの違いもわかんなかったし、csvファイルをscvファイルとか言ってたけど、約二年の在籍でかなりスキルアップしたなー。 普通にwebsiteも作れるようになってたし、在庫の管理とかもしてたからエクセルの鬼になってたしw
なんかルーティン業務化してきたところで飽きが来たタイミングで子会社の仲いい人が『うちくれば?』って誘ってくれた。
3社目 ネットオークションサイト運営会社
マジでさ、商品引いてくるとこから、商品撮影から、コピーライティングから画像加工から出品からCSから全部社内の10数人でやってるカオスな会社だったんだよ。商品管理とかDBあんのに毎回手入力とかしてて、手入力だから上代下代在庫数間違えたりしてて。
そこで当時エクセルの鬼だったオレは一個のエクセルファイルで商品管理からキャンペーンページのhtmlソース書き出しまでできるの作った。
周りの人とかなんでそんなん作ってるの?それ簡単になるの?今手動かした方がいいんじゃないの?とかそんな空気だったけどw
でもまぁうまくできて、その後5年はそのエクセルで運用していたらしい。オペ作れよ!w
んでなんだろう、すごい楽しかったんだけど、なんか、「アメリカ行きたい」つって、辞めた。
金も貯まってないのに。
どこに留学するのか決めてもいないのに。
結局次の仕事とか決めないで、フリーランスで半年くらいやってた。
4社目?フリーランス
ただただ、紙の仕事でもwebの仕事でもなんでもやってた。オペレーションみたいなのもやってたし、DTPも、webも。
当時webってなんか、テンプレあってオペで運用してるとかあんまなかったのかな。
インフォシークムービーのページを定期的に作ってた記憶があるなー。そしてメインの収入源だった。宮澤さんありがとう。
5社目 シリコンバレー
『お前アメリカいくいく言ってて全然いかねぇじゃん。行かないって言えよ。その方が楽だぜ?』
「いや行くから。決めてんだよ行くって!」
『だからいつだよ!』
みたいなやり取りが続いてまして。
ひょんなタイミングで友達のバンドがバンドごとアメリカいくつって、
「じゃあオレも行くわ」
みたいな感じで一緒のビザ申請ガイドブックみて、ビザ申請して行った。
友達はLAだったんだけど、オレはデザイン誰にも教わったことなかったから美大行きたくて。でもTOEFL225点とかのマジスポンジ脳だったから、TOEFL規定がない美大探したらサンフランシスコにあって、そっち行った。
んでもなんか学校馴染めなくて、一年で中退してフリーランスでやってた。
SFってさ、超家賃高くてさ。在学中の授業料とかも貯めてた金たりなくて借金してさ、親に。
で金銭的にフリー限界だったからもう帰った方がいいんだろうかとか思ってたら〜
丁度そのときに拾ってくれた人がいて、シリコンバレーにオフィスを持ってて、
んで約二年、本当にお世話になった。本当〜にお世話になった。
今その社長はまた面白いことやってるね。ウェアラブルでね。髪は薄くなったけど。
アメリカは〜、そうね〜、三行でまとめると
・アウトドアとかスポーツ、やるとこ超あって楽しい
・仕事が終わるのが早くてステキ
・なんか好きすぎて好き
もぉ本当帰ってこなければ良かった、と今でも思う。
今は今で幸せだけどさ、まぁ得るものも違っただろうけど
向こうにそのまま居たら居たでクッソ楽しんでるんだろうな。まぁないものねだりだ。
んでサイバード時代に知り合った人が作った会社に呼ばれて帰国。
帰国の理由は
『アメリカで約三年培った自分の力をもう一度日本で試してみたいから』
って言ってた。
今のオレなら
『まだお前はたいした事ないから戻ってこなくてよろしい』
と言ったであろう。
5社目 Infinitaというベンチャー企業
最終的には4年も働いてたんだよね。超なげぇ。SFから帰って来たときはまだ日本ではiPhoneが出てなくて、まだみんなガラケーだった。
んでFlashLiteとかでサイトとかゲーム作ってたよ。もうアレは書きたくないなぁ…w
それからFlash2.0までやって〜、んでもうあれですよ。スマートフォン時代到来ですよ。
なんかやっぱタッチデバイスってなんか好きでさぁ。webappすごい作ってた。
思えばあの頃からxcode勉強してたら今はエンジニアかも。んな訳あるか。
後半はアプリUIガリガリ作って、転職。
6社目 DeNA
ですね。この会社入る前までは、最低限のUX設計と、カッコいいUIだったらいいんだと思ってた。
でも今は最高のUXと最低限のUIがシンプルで良いサービスになるんじゃないかなーと思う。
まぁ語弊はあるけどね。UIももちろん大切だけど。
なんか入社時から『フリーランス向きっぽい人』とか言われてたらしいけど
結局そうなったのは、そうなんでしょうねw
でも本当いろんな人と仕事できてよかった。
でも本当、この人と一度仕事したかったな、って人はたくさん居て、それが心残りだな。
なんか自分のプロダクト思いついたら相談しよう。コソッと作ってもらおう。
これから
いろんなサービスに首突っ込んで作ってみたいんだよね。それこそなんか、帰国したときの感覚に似てるかも。
超アウトプットしたい。
するわ〜、も〜。
あ、それで退職時にもらった電子寄せ書きのネタはまた後日、書きますw
しっかしmovable typeってこんなに使いにくいんでしたっけ。
ええかげんwpおぼえますねこのタイミングで…
こうやって久々長文書くと文章力のなさに凹むわー。
Posted by ats | 2014年04月03日 09:28
Posted on 2014年04月03日 09:28